フリーター=恥ずかしいと思う自分とサヨナラするために知っておくべきこと。
こんにちは!
フリーターって若いころはまだいいんだけど、年々歳を重ねるごとに知り合いに「フリーターです」って言うの、なかなか勇気がいるようになってきますよね(;´へ`A``
ただ僕は知人友人にも胸を張ってフリーターですと答えていますが!
どうも現役フリーター27歳、常脇湿太郎です( ´,_ゝ`)
みなさんは胸張って知人友人に「フリーターです」と言えるでしょうか。
そこで僕と同じく現役フリーターの方にお聞きしたい。
フリーターである今の自分を恥ずかしいと思っていませんか?
わかる。その気持ちめーっちゃわかるんだよ。
僕もついこの間までは“フリーター=恥ずかしい、終わってる”って同じこと考えていて、毎日の生活を苦しいと思っていた。自分のつまらなさに絶望していたから( ´,_ゝ`)
だからわかる。
でもね、僕は少しずつ時間を掛けて自分と向き合ったり、いろんな事を見聞きしたことで、なぜフリーターである自分は恥ずかしいのか、を理解することが出来た。
すると、そんな自分やフリーターである現状をちょっとずつ肯定出来るようになったんだ。現状は何も変わっていない、だけど自分の心の持ちようが変わっただけで今はとっても精神的に安定している。(だからってこのままフリーターでいるつもりは毛頭ない)
フリーターである全員が同じように現状を肯定的に捉えられるわけではないと思うけど、この記事を読んだ全国の悩めるフリーターが、今の自分を少しでも認められて、毎日を少しでもハツラツと行動出来るようになったらいいと思う。
気付け!“フリーター”であること自体は恥ずかしいことではない
現役フリーターである人は、“フリーター自体が恥ずかしいことではないということ”に気付くべき!そして同時にフリーターであることを恥ずかしいと思う理由は、自分が作り出しているということも知るべき!
そうでないと、僕がそうであったようにとっても損することになる。
改めていろんな面から捉えてみる。フリーターとは?
まずは辞書から引用してみます。
フリーターは、日本で正社員・正職員以外の就労形態(契約社員・契約職員・派遣社員・アルバイト・パートタイマーなどの非正規雇用)で生計を立てている人を指す言葉。学生は含まれない。学校卒業後の年齢15歳から34歳の若者が対象である。和製の造語(「フリーランス・アルバイター」の略称)である。フリーアルバイターとも言われる。
フリーターとは学生を省いた34歳までの非正規雇用者のことを言うみたい。
では、このフリーターという言葉は日常生活の中でどのような印象を持たれているのかというと。。。
悲しいことにあまりいい印象は持たれていない(苦笑)
例えば、初めて会った27歳の人に『いまフリーターっす』って言われたらかなり言葉を選びながら「そ、そうなんですね・・・」なんて、当り障りのない返事をした挙句、次の言葉に詰まってしまうのではないでしょうか?(御存知の通り僕は相手に気を使わせる側です笑)
それは“フリーター=恥ずかしい、良くないこと”、っていう印象が強いからで、その立場にある相手に対していたたまれない、同情の気持ちを抱いた結果なんだと思います。
まるで触れてはいけない話題に踏み込んでしまったかのように!腫れ物を扱うかのように扱われる!それがフリーター!(笑)
僕自身恥ずかしいと思っていた、フリーター
友人知人とそんなやり取りを繰り返して周りの意見に触れる度に、事実僕自身も気付かないうちに「あぁ、フリーターって良くないんだな。フリーターって弱いんだな。それって恥ずかしいな」って思う様になっていた。
それに、フリーターである自分に誇れることなんて何もなかったし、ただ就活に乗り遅れた結果成り行きでなったフリーターだったから、そういった無計画さやズボラさが更に自分を恥ずかしい存在だと思わせていた。
中にはそんな人も多いんじゃないかな。
少々辛辣ではあるけど、このフリーターという言葉が社会の中でどんな意味を持つかといえば、“非生産者”と捉えられているのが実際のところです。
フリーター=社会的弱者、希望を持たない、落ちこぼれ、そんなネガティブな印象が詰まった存在として広く認知されているよね。
確かに、フリーターって社会的信用が低いかもしれない。大抵の場合スキルも乏しいから生産力もないし、経験も少ないから発言力もないし、事情も知らないから提案力もない。
そういった一面だけを見るとフリーターって恥ずかしいと感じてしまうのも無理ないのかな・・・
いやそれは違う。
『フリーター』で一括りにされていることに違和感を感じない?
社内やバイト先でならともかく、外の世界で普段から“フリーター”という名前だけで一括りにされぞんざいに扱われることについては、フリーターである僕らは、違和感を感じていいと思うんだ。
フリーターと答えて相手に怪訝そうな顔をされたその時!
その人は僕の『フリーター』の部分しか見てない。
それはつまり『フリーターの“僕”』の部分を見てないってこと。
僕のことを何も知らないで、フリーターと聞いただけで勝手に僕を恥ずかしい存在として扱わないでくれ!って思わない?
だってバイト先では与えられた仕事をきちんとこなして、お給料から税金払っていれば、社会生産に参加している事になる。それに国民の義務である【労働の義務】と、【納税の義務】をしっかり果たしているじゃないか。(三大義務の【教育の義務】については子供できたらね)
つまり、きちんと国民としての責務を果たしているんだから他人にとやかく言われる筋合いは無いってこと。
気付こう。“フリーター”自体は恥ずかしくないってことに。
ここまでで腑に落ちた人がいてくれたら嬉しい。ただ、それでもなおフリーターであることに恥ずかしさを感じている人もいるのもわかる。
僕がそうであったように、その理由は自分の中にあるんだ。
自分が作り出していた、フリーターが恥ずかしいと思う理由。
フリーターって恥ずかしい。まだそう思うのはなぜか。
答えは簡単だった。
フリーターをしている自分に“納得感”がないからだ。
正直な所僕はフリーターである自分の中に納得感が無かった。フリーターになりたかったわけでもなかったし、ずっとフリーターをしているのも嫌だと思っているからだ。
“フリーター”が目的の一部でないことに無計画さやズボラさを感じてしまう、それが恥ずかしかった。
別に夢があることや将来の目標があることが崇高だとは思わない。だけども、自分がフリーターであることに納得できなければ、いつまで経っても恥ずかしいままなんだ。
そう気付くことができた僕は、考え方が少しずつ変わっていった。
長くなるので続きはまた明日。